ひで房ストーリー(2002年の記事より)
さわやかな風が木々を揺らす庭で、シーサー作りに熱中する親子の姿があった。 読谷村の「むら咲むら」で、手作り工房「ひで房」を開く比嘉秀敏さん、辰弥さん親子だ。
秀敏さんがシーサー作りを始めたのは今から十年ほど前。
廃材置き場に捨てられていたシーサーとの”出会い”がきっかけだ。
北中城村で電気工事関係の会社を経営していた比嘉さんは、当時、体を壊してやむなく経営を断念することに。
最後の仕事で立ち寄った廃材置き場で顔や足が無残に壊れたシーサーを見つけ、自宅に持ち帰った。
修復したシーサーを前に、「一人では寂しいだろう」と対のシーサーを制作。
気がつけば、「子」「孫」と次々にシーサーを作っていた。
「それに没頭していて、落ち込んでいる暇が無かった」と振り返る比嘉さん。
傍らで妻の和子さんが支えてきた。
独学で制作する秀敏さんのシーサーは好評で、二年前には「むら咲むら」に工房を構えた。 昨年からは、長男の辰弥さんが電気工事の仕事を辞め、体の自由が利かない秀敏さんを助けて工房を切り盛りしている。
秀敏さんが、小さなシーサーを作る一方で、辰弥さんは、力のいる大型の瓦シーサーなどを主に作る。 「自分の思い通りに作れるのが一番の魅力」と語る辰弥さんは「ここにくるまではシーサー作りに興味もなかった」と言う。
今では、休日になると那覇市の壷屋や糸満市に出向いて、シーサーを研究する熱心さだ。 「廃材置き場のシーサー」の話は、秀敏さんが客に話しているのを聞いて初めて知った。 「そんなことがあったのか」-。静かに父の後ろ姿を見守ってきた。
「人間でも『目が輝いている』という表現があるように、シーサーも表情、特に目が大切」と話す秀敏さんに、
辰弥さんも「目が一番難しい」とうなずく。
「自分の考えで創作するので親子であっても作るものは違う」という二人のシーサーは、どこか違うが、目からこぼれる優しさは同じだ。
父へ
突然、違う職種に変わったときすごいと思っていた。幼いころから動物や竜の絵を描いてくれたのを思い出す。
父の指は太いのにとても器用だ。三線を弾くシーサーやブランコに乗ったシーサー。
父が作る人間の生活に溶け込んだシーサーがとても好きだ。 今の自分には絶対作れないようなものだが、いずれは作れるようになりたいと思っている。
息子へ
立体感覚や表情など、ものを作るという感性がぼくよりいいと思う。シーサーはその時の気持ちによっていくつもの表情がでる。
落ち込んだ時には人を勇気付け、だらけた時にはカツを入れてくれる、喜怒哀楽を表現できるシーサーを作ってほしい。
この仕事は数ある中でもぜいたくな仕事だ。相手が喜べばこちらもうれしい。楽しみながら続けてほしい。
これからも「手作り工房 ひで房」をよろしくお願いいたします。